檜隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)に治定されている古墳で、687年に築造がはじめられ、天武天皇を埋葬、703年に火葬された持統天皇を合葬したとされる。
江戸時代には、天武・持統陵は、五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)に治定されていた。
野口王墓古墳が1235年に盗掘された石室の様子を詳細に記した『阿不幾乃(あおきの)山陵記』が、明治13年に京都栂尾(とがのお)の高山寺で発見されたことを契機に、明治14年に野口王墓古墳を天武・持統陵とした。
奈良県高市郡明日香村野口
野口王墓古墳
八角墳
持統元年(687)