創建は明らかではないが、享保年間(1716~1735)に編集された『大和志』によると近隣の八幡社の惣社としても栄えたと考えられる。
室町時代、大淀町の桧垣本を根拠地とした猿楽の一座があった。面打ちの桧垣本七郎、笛の彦四郎、太鼓の国忠・国広親子など優れた猿楽者を輩出し、後に観世の名跡を得て江戸に進出したが、時代とともに忘れられた存在になった。
近年、能楽のお囃子のルーツとして再び脚光を浴び、町では「桧垣本猿楽」を文化財産として後世に継承するため、「ちびっこ桧垣本座」など様々な取り組みを行っている。
奈良県吉野郡大淀町桧垣本2092
息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)
誉田分命(ほんだわけのみこと)
大鷦鷯命(おおさざきのみこと)